あなたは、どこを見ているのか、あなたは、どこを目指しているのか。これからやってくることは、みな不確かではないか。今すぐ生きなさい。
人生の短さについて
私は現在ゆるゆる生きるネオニートをしています。
このネオニートを目指すことになったキッカケは20代中盤に「人生の短さについて」を読んだことにあります。
「人生の短さについて」はストア派哲学者のルキウス・アンナエウス・セネカ(紀元前1年頃~65年)の著書です。
なんと2000年以上前の本になります。すっげー昔です。邪馬台国の卑弥呼より前に書かれた本です。
読むとむっちゃビビります。
何がビビるかというと人間変わってなさすぎってことです。
個人的にウケたのがこのフレーズ
あなたは、理髪店で何時間も過ごす伊達男たちを、閑暇な人と呼ぶだろうか。
人生の短さについて
彼らは、前の晩に生えた毛を抜いてもらったり、髪の毛の一本一本について相談をしてみたり、髪の乱れを直してもらったり、うすくなった髪を、あちこちから前の方に寄せ集めたりしている。
理髪師が少しでも不注意なことをしようものなら、彼らはどれほど怒るだろうか。
本当に人間の本質は一ミリも変わっていないことが分かりますねw
テクノロジーがどれだけ発展してもこうした人間のアホさ(愛すべき点でもある)はこれからも変わらないことでしょう。
私はこれまで「人生の短さについて」の様な古典を読み漁ってきました。
古典を読んで何が良かったのかというと人間の変わらない本質を学べる点に集約されるかなと。
そして「人生の短さについて」では人間が人生で何に後悔しがちなのかについて示唆をくれます。
最も後悔しやすいことはやっぱり「時間を雑に扱ってしまうこと」に起因してるんですね。
「今ここ」を大切にできていない。何が起きるかも分からない将来のことばっかり考えたり、いたずらに何かを不安がったり、周りに流されて惰性的に生きてしまったり、見栄を張りたいがためにくだらない仕事に従事してしまったり、自分の有限な人生に向き合ってこなかったことへの後悔なのです。
それではどうやって時間を大切に扱うのか。今回は「人生の短さについて」から学べる時間を大切に扱い、充実した生き方を送るための方法について見ていきましょう。
筆者プロフィール
大学卒業後、派遣の携帯販売員でキャリアをスタート。その後、求人広告ライター、Webディレクターを経て現在は企業のWeb集客の助っ人や自身で複数のサイトを運営して生計を立ててます。
講談社の現代ビジネスでもペンネーム若旦那で連載中です(以下リンク)
(https://gendai.ismedia.jp/list/author/wakadannna)
Twitter:@Do9odyoxMHd4OHI
忙しさの中に人生を浪費しているわれわれ
ひとの生は十分に長い。そして、偉大な仕事をなしとげるに足る時間が、惜しみなく与えられているのである。
ただし、 それは、人生全体が有効に活用されるならの話だ。 人生が 贅沢三昧や怠惰の中に消え去り、どんな有用なことのためにも費やされなければどうなるか。ついに一生が終わり、死なねばならぬときになって。われわれは気づくことになるのだ。われわれは短い人生を授かったのではない。われわれが人生を短くしているのだ。われわれは、人生に不足などしていない。われわれが人生を浪費しているのだ。
人生の短さについて
私は20代中盤でこの「人生の短さについて」を読みました。その時に人生の大先輩であるセネカからボロッカスに説教された様な印象を受けたのです。
セネカから「おめーな。なにくだらん本ばっか読んでんだ。何〇VIDEOばっかり見てんだ。何現実逃避してんだ。現実に向き合え。もっと今を生きろよ」と言われたような気がしました。
これまで惰性で生きてしまった人にとってこの「人生の短さについて」は極めて残酷な本となるでしょう。
ああ俺は今まで何をしてきたんだと。本当に自分の人生を生きてきたと言えるのだろうかと。「人生の短さについて」を読んでると自分のこれまでの人生を否定されたかのような気分となります。
だから劇薬なんですね。でもこの劇薬は人生の早い段階で喰らっておいて損はないと思うんです。というのも人生についてより真剣に考えるようになるからです。自分にとって幸福な人生はどんなものなのだろうかと。お金なのか、名誉なのか、肩書なのか、出世なのか。
歳を取って死ぬ間際になってから「ああ、もっとあれしておけばよかった」と後悔してしまうことは本当にないだろうかと。
「人生の残りかす」を掴まされる人生はつらい
あなたは、たくさんの人たちが、こう言っているのを耳にするだろう。
50を過ぎたら仕事を引退しよう。60になれば、公の役目からも解放されることだろうと。だが、あなたがそんなに長生きする保証が、どこにあるというのか。
人生の残りかすを自分のためにとっておき、善き精神的活動のために、もうなんの仕事もできなくなった時間しかあてがわないなんて、恥ずかしいとは思わないのか。
生きることをやめなければならないとき、生きることを始めるとは、遅すぎるのではないか。
人生の短さについて
人生残りかすっていう表現が秀逸ですね。
このフレーズを読んだ時に私はあのデジタルノマドの始祖であるティム・フェリス氏の「「週4時間」だけ働く。」で出てきたある会話がフラッシュバックしました。
そのやり取りはこんなものでした。
ある時ティム氏は投資銀行の重役になることを目指している友人とご飯を食べていました。その友人が言うには10年ほど働いて投資銀行の重役になると年収が3億~10億ドル(300億~1000億)になるとのこと。
ティム氏「なあ君、3億や10億ドルもあって何をするんだい」
友人氏「タイに長期旅行に出るのさ」
続けて
友人氏「オレはこの会社であと15年間だけ働くと思う。それから共同経営者になれば、仕事の時間を減らせるだろう。10億ドルの預金さえできれば、それを債券ような安全なものに投資して、年に8万ドル(約664万円)の利子が入るようになる。そして、リタイアしてカリブ海諸島へ航海するのさ」
その会話を振り返ってティム氏はこう言います。「今の時代を象徴するかのような自己欺瞞」と。そしてティム氏は自分はそんなの全部やったと。しかも25万円もあればできてしまったと。
私も共感するところです。私は20代で3年間海外放浪したんですがその時に使ったお金は50万円にも満たなかったです。
なぜそんなことが可能だったかというとWorkAwayを使って旅先の現地でボランティアをしたり、カウチサーフィンという無料宿泊プラットフォームで無料で止めてもらったりして全然お金を使わなかったからです。貧乏旅行ですがむっさ楽しかったです。まだ若かったので旅先でも年上の外国人からはいろいろ助けてもらえましたしね。
意外とやりたいことってのは今すぐできてしまいます。お金もそんなに要らないのです。
お金の問題ではなく、問題はやりたことを先延ばしにする先延ばし癖にあるかなと。また社会的ステータス(見栄)を捨てきれないところも行動を後回しにする重荷になってるのかなと。
でも間違いなく若い時しか楽しめないことってあるんですね。海外放浪旅とかはやっぱり20代の若いうちの方が楽しめると思いますね。
セネカの言うような人生の残りかすしか堪能できない人生はつらすぎですね。出来るだけ早くやりたいことはやってしまうのが重要だと思うんですね。
だっていくらお金があってもやりたかったことをやれなかった人生ってやっぱり死ぬときになって後悔あると思うんです。
時間に向き合えない人の人生は短く、不安に満ちている
過去を忘れ、現在をおろそかにし、未来を恐れる人たちの生涯は極めて短く、不安に満ちている。
この哀れな人たちは、死が間近に迫ってから、自分が長い間ただ多忙なばかりで、なにも意味のあることをしてこなかったことに気が付く。しかし、そのときにはもう手遅れなのだ。
人生の短さについて
時間に向き合う。それはつまり自身の命について考えることもであります。そこを強烈なメッセージで伝えてくれた「人生の短さについて」は間違いなく僕の人生観を大きく変えました。
いくら人生100年時代と言ったところで人間には寿命があります。さらに元気に活動できる期間というのはそんなに長くないのが現実です。たとえば元気に海外放浪旅できるのなんて体力のある30代前半くらいまでじゃないでしょうか。
どうでもいいことに関心を持ったり、ただただ自己啓発本を読んでありもしない妄想にふけるのは止めようと。
ありきたりな表現になりますが「今の私を取り巻く現実世界を必死かつ楽しく生きよう」そんな風に思わせてくれる一冊なのです。
他人のために生きるな、自分のために生きよ
多忙な人は、みな惨めな状態にある。その中でもとりわけ惨めなのは、他人のためにあくせくと苦労している連中だ。
彼らは、他人が眠るのにあわせて眠り、他人が歩くのにあわせて歩く。だれを好いてだれを嫌うかという、なによりも自由であるはずの事柄さえ、他人の言いなりにならなければならない。それゆえ、高官の着用する服を幾度もまとってきた人を見ても、議場や法廷でその名がもてはやされている人を見ても、うらやましいと思ってはいけない。そのようなものを手にするためには人生を犠牲にしなければならないのだから。
人生の短さについて
社会貢献、他人のために働くことは重要です。でもここでセネカが言ってるのは他人の評価軸に沿って生きるなということなんですね。
他人の評価軸に沿って生きているといつまで経っても自分の人生を生きれないです。承認欲求の奴隷になってる状態だからです。奴隷は自由ではありません。私は承認欲求をすべて否定するわけではないのですが承認欲求の奴隷になると本末転倒だと思っています。
私は「人生の短さについて」とあの名著「7つの習慣」は極めてメッセージが似ていると考えます。名著というのは時代を超えてメッセージ性がある程度似通っています。
「7つの習慣」で「関心の輪」と「影響の輪」という概念が出てきます。「関心の輪」とは私たちが関心を持っている対象です。
その中で「自分が変えられるもの、影響できること」については「影響の輪」と呼んでいます。
自分が変えられる、影響を与えられる影響の輪にある事柄の例としては筋トレだったり仕事への取り組み方だったり、副業などがあります。
自分のエネルギーや時間をこの影響の輪に集中させることで人生が好転しやすくなります。一方で他人の評価や将来起きることなど関心の輪にばっかりエネルギーや時間を注いでいると現実は何も変化しないです。正直、そこにエネルギーを注ぐのはむっさ不毛なのです。
セネカは「人生の短さについて」で関心の輪にエネルギーを注ぐことの害について繰り返し述べています。
未来に頼らず、現在を逃さず、過去と向き合う
彼らは、よりよく生きれらるようにと、多忙をきわめている。生を築こうとして、生を使い果たす。遠い将来のことを考えて計画を立てる。ところが先延ばしは、人生の最大の損失なのだ。
先延ばしは、次から次に、日々を奪い去っていく。それは未来を担保にして、今このときを奪い取るのだ。生きる上で最大の障害は期待である。期待は明日にすがりつき、今日を滅ぼすからだ。
あなたは、どこを見ているのか、あなたは、どこを目指しているのか。これからやってくることは、みな不確かではないか。
今すぐ生きなさい。
人生の短さについて
生を築こうとして、生を使い果たすというのが極めて秀逸な表現なんですよね。
現代に生きる私たちは将来のためにとかって思っていろいろ頑張りがちなわけですが、それが報われないことって無茶苦茶多いと思うんですね。
生を築こうとして、生を使い果たす最たる例は出世競争などが挙げられるでしょうか。正直、そういった社内での競争にエネルギーを集中させるよりも副業で自分のビジネスを作ったり、その会社でしか役立たない社内政治スキルではなく業界横断的なスキルをつけていく方向にエネルギーを注いだ方が良いですよね。
セネカを読むと人生変わる
私はセネカを読んだことによってネオニートを目指すことになりました。
というのも人生の残りかすを掴まされるような生き方はしたくなかったからです。
死に間際になって「あれやっとけばよかった」なんて後悔はしたくなかったのです。せっかく生きてるわけですので充実した人生を送りたいと考えたのです。
ステータスや肩書はどうでもいいです。行きたい時に行きたいところへ行って、価値観の合っている人間と楽しい時間を共有する。これだけで幸福度は高くなると思ってました。
そのためにも自分はWebマーケティングを武器にWebコンテンツ制作で生きていくことにしました。リモートワークが許容されており世界中のどの国からでも働けます。カリブ海諸島へ航海することもできますしタイでブラブラ生活も可能です。
読者の中にも私と価値観の近い人はいるかもしれません。でも不安定なネオニートにはなれそうにない。より安定的に稼ぎたい、そんな人であればリモートワークが許容されていて時間単価の高いWeb系の仕事に正社員としてつくのもありでしょう。
たとえばフリーランスのWebエンジニアやWebマーケターだとリモートだったり週3勤務が許容されている場合も多いです。
そういった仕事で収入を得ながらも行きたい場所にフラッと移動したり、今まで自分がやりたかったことをやっていく生き方も良いのではないかと私は思いますね。
話が少しそれました。
とにかくセネカの「人生の短さについて」を読むことによってより人生、有限な時間を認識できるようになり生きていく方向性が立つようになります。そしてモリモリと行動にとりかかるモチベーションが湧いてくるのです。
やっぱり読書ってのは偉大なのです。
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