「足るを知る」を体得するための仰天の手法教えます

「足るを知る」

この言葉の起源は思想家の老子の言葉「知足者富=足るを知る者は富む」です。

富むと言うのは金銭的に富むということではなく精神的に満ち足りることを意味します。

自分が持っていないことを不満に思ったり、欲しいものを渇望するのではなく既に自分が持っているものに感謝することで幸せになれるというわけです。

賢者
賢者

若者よ。自分が持っているものに感謝しなさい。さすれば汝は足るを知るであろう。

しかし

若者
若者

そんなこと小学校の頃から山ほど聞いて知ってるわい。感謝できりゃ無理ねーよ。

「足るを知る」が大事なのって誰でもわかってることですよね。

若者
若者

足るを知れたら苦労ねーんだよ。

この「足るを知る」って言葉は良い言葉です。間違いなく。

でも「で?」って感じませんか?筆者はそう感じます。

「すでに持っているものに感謝するのは無理ゲー」に近いものがあります。たぶんそれが普通にできるのって仙人くらいではないでしょうか。

すでに手に入れているものを当たり前に思い「もっともっと」と欲望するのは人間の性でしょう。

「足るを知る」のはただ念仏の様に「ありがとう」と感謝するだけでは難しいのではないでしょうか。

本記事では「足るを知る」ための現実的な手法について解説していきますね。

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つねに”もっと不幸がある”と思いなさい

ユダヤの格言に

つねに”もっと不幸がある”と思いなさい」というものがあります。

これ極めて「足るを知る」ための現実的なアドバイスだなと。

ユダヤ教にはこんな逸話ががあります。

貧しい男がラビ(ユダヤ教の聖職者)を訪れました。

貧しい男
貧しい男

私の家は小さいのに子供がたくさんいて悪妻です。もう人生最悪です。どうしたら良いでしょうか?

ラビ
ラビ

君はヤギを飼ってるか?飼ってるヤギを家の中に入れなさい。

翌日男はまたやってきました。

貧しい男
貧しい男

家に悪妻に加えて山羊まで!もう最悪です!

ラビ
ラビ

ニワトリを飼っているか?ニワトリを家の中に入れなさい。

すると翌日、男がやってきて

貧しい男
貧しい男

女房、ヤギ、ニワトリが家の中にいて最悪です!

ラビ
ラビ

では次はヤギとニワトリを家の外に出しなさい。また明日来なさい。

翌日、男は満面の笑みを浮かべて

貧しい男
貧しい男

ヤギとニワトリを外に出しました。家はいまや宮殿の様です!

「足るを知る」には逆に「ちょっぴり不幸な状態」を自分の身で経験することが必要なんですよね。

自分の現状の思考の枠組みに囚われているとどうしても「足るを知る」ことはできません。

ユダヤ教だけではなく仏教でも同じような逸話があります。

一人息子を失い、悲しみに打ちひしがれる母親がいました。彼女は息子を生き返らすことができないかと釈尊のもとを尋ねます。

釈尊は一人も死人が出たことのない家から白いケシの実をもらってくるようにと彼女に言いつけました。

最初に訪問した家では“昨年、父が死んだ”と言われました。
その隣の家へ向かうと“夫が今年、亡くなった”と言われました。
向かいの家へ向かうと“ついこの間、子供が死んだと言われた。
死人を出さない家は一軒としてなかったのです。

この時彼女は気づきます。

「私は今まで、自分の子供だけが死んだのだと思っていたのだわ」

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足るを知るにはジャングルに行くべし

「足るを知る」という言葉は間違いなく至言です。

でも前述したように「足るを知る」には逆に「ちょっぴり不幸な状態」を自分の身で経験することが求められます。

前述したようにすでに手に入れているものを当たり前に思い「もっともっと」と欲望するのは人間の性です。

「今ある状態に感謝」と念じても幸せを感じたり、現状に満足できないのが人間なのでしょう。

私は過去に「ちょっぴり不幸な状態」を経験することによってはじめて「足るを知るとはこのことか!」と強烈に認識した経験があります。

私はかつて世界を3年ほど旅していました。で、ひょんなことからコスタリカのジャングルで生活をすることになったんですよね。

文明的生活から切り離された環境で生活することになりました。

そのジャングルの近くの街にはATMもなくお金を引き出すことができません。一緒に生活していたコスタリカ人の友人らもお金がない貧乏人ばかり。

そこで私たちはジャングルになっているバナナや野菜、海や川で釣った魚、コスタリカ人友人の彼女が時折持ってくるお米。

これら最低限の食べ物を食べて生活していました。

しかしですね。

不思議なことにこの素朴な食べ物がとてつもなく美味しい。

炊いたご飯、焼いた魚。これらにレモンをかけて食べる。

ジャングルになっているパパイヤをデザートに食す。

筆者
筆者

うますぎ。幸せ…

一生で食べた料理の中でもダントツでとてつもなく美味しかったですね。間違いなく幸福感高かったです。

でも食べ物がいくらでも手に入る都市部で同じ料理を食べた場合、「とてつもなく美味しい」とは決して感じなかったでしょう。

その時の私は食べ物が手に入らずお腹がペコペコな状態だった、つまり「ちょっぴり不幸な状態」を経験していたからこそ魚、お米、パパイヤが強烈に美味しいと感じられたわけです。

足るを知るにはジャングルで飢餓状態を経験するのが良いのかもしれませんねw
ジャングルに行くのをおすすめしますw

以下が当時のジャングル生活を記した日記です。

コスタリカでのジャングル生活を終えて 総括
総括書きなぐる。 コスタリカの太平洋側パナマの国境付近のパボネスでの生活は本当に良い経験となった。ほぼ1ヶ月をジャングルの中で暮らすというものだった。 このような経験ができたのもすべて僕を泊めてくれたホストのデイビットのおかげだ。コスタリカにはそこまで強い印象...
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「足るを知るには」断食もありです

ただしジャングルに行く時間を取れない人も多いでしょう。

そこでおすすめなのは断食です。

「ちょっぴり不幸な状態」を経験することで逆に「足るを知る」ことができます。

私は定期的に1、2日間断食するようにしています。なぜかというと「ちょっぴり不幸な状態」を意図的に経験するためです。

断食した次の日の食事はとてつもなく美味しく感じられますよ。
ご飯を食べれるだけでもう人生オールOKになります。自分の今の状態に感謝でき「足るを知る」ことができます。

現代社会は言うまでもなく食べ物、娯楽が飽和してる時代。ただ必ずしも「幸福」かと言われるとそうではないですよね。

そんな時代には意図的に「ちょっぴり不幸な状態」を経験することが幸福度を高めるうのかなと思います。

そうやってはじめて「もっと、もっと」という世界においても「足るを知る」ことができるのではないか。筆者はそう考えます。

もちろん「もっと、もっと」と言うのは人間の自然な欲望に根差してるわけで否定するべきものではないでしょう。その欲望こそが私たちが生きている社会を発展させてきた一面もあるはず。

ただしその「もっと、もっと」が不幸感を引き起こしてる感も否めませんよね。そうであればその「もっと、もっと」を上手くコントロールする必要もまたあるかなと。

そういうわけで可能な人はジャングルで生活することをおすすめしますが、それが無理なら断食を試してみることをおすすめします。

ではまた。

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