コロンビアの麻薬マフィア「パブロ・エスコバル」はコカイン密輸、脅迫、殺人、テロありとあらゆる悪事を働いた極悪人である。
あなたが万一コロンビアに旅行にいくなら不用意に「パブロ・エスコバル」というワードは出さないほうが良い。「パブロ・エスコバル」はコロンビアにおいてNGワードなのだ。
筆者はコロンビアが好きで年に数か月滞在しているのでそう断言する。
コロンビアでは下ネタなワードに対する許容度は男女問わずかなり高い。しかし、パブロ・エスコバルはダメ。
一般のコロンビア人はパブロ・エスコバルをコロンビアの歴史上の汚点だと考えているからだ。
「パブロ・エスコバルについてどう思う?」と質問されることすら無茶苦茶嫌がる。
ただ、今でこそ蛇蝎の如く嫌われているが、1980年代までパブロ・エスコバルは一部の人々からは英雄の様な扱いを受けていた。
1982年には国会議員として立候補して当選している。一部では大統領を目指していたという噂まである。
極悪人なのになぜそこまで支持されたのか?
その答えは無茶苦茶シンプル。
人間は「富を持っているという事実のみでその人を”偉い人”だと認識する」から。
これは数百年前の経済学者アダム・スミスによる指摘だ。
パブロ・エスコバルの様にコカイン密輸で得た富であっても”偉い人”だと認識されるわけだ。
さらに、パブロ・エスコバルの側近の日記を読んでみたところパブロ・エスコバルは自己演出やマネジメントが上手かったとも思われる。
もしコカインではない実業をやっていればカリスマ経営者と言われるようなタイプだったのではないだろうか。
今回の記事ではパブロ・エスコバルがコカイン”事業”をどのように成長させたのか、彼の組織を束ねる実業家的な顔、極悪人でありながらも熱狂的に支持された理由を解説する。
今回の記事を書くに至っては当時のことを知るコロンビア人から聞いた証言をベースにパブロ・エスコバルの息子が書いた本「Pablo Escobar: My Father」、マーク・ボウデン「パブロを殺せ」含む複数の文献、Netflixドラマ「ナルコス 大統領を目指した麻薬王」DVDも一部参考にした。
コカインの転売は死ぬほど儲かった
パブロ・エスコバルは1949年コロンビアの都市メデジン近郊で生まれた。
幼少期は家族想いの少年だったという。
しかし、高校時代に墓石を盗んでその文字を消して転売したり、自動車を盗んで転売したりと犯罪にスリルを感じ悪に目覚める。犯罪行為を行う中でコカインの転売が最も儲かると知る。
特に米国に輸出すると、とんでもなく儲かると。
1970~80年代、ヒッピーブームの高まりという時代背景も後押しとなり米国においてドラッグの需要が急激に高まっていた。
高値で売れるコカインは儲かる商品だったのだ。
そこで、パブロ・エスコバルはコカインの原料のコカの生産地であるペルーを自ら訪問し、農場からコカを継続的に購入する契約を取り付けた。コカインを精製する工場をコロンビア国内に建設。
そして、コカインを米国に密輸し米国国内で販売するネットワークを組織した。それが麻薬組織「メデジン・カルテル」である。
メデジン・カルテルはコカインの原料生産の川上からコカイン販売の川下までコカインのサプライチェーンを抱え込むことに成功し、ガバ儲け状態となったのだ。
また、競合他社ともいえる他の麻薬カルテルを抱き込むことにも成功。
なぜなら他麻薬カルテルはメデジン・カルテルの販売網を活用することでリスク低く麻薬を販売できるメリットを得ることができたからだ。
メデジン・カルテルは、ペルー・ボリビア・コロンビアで生産・精製したコカインをコーヒー・靴・家具などに巧妙に仕込んで輸出したり、所有する飛行機や潜水艦を使用してコカインを米国に密輸。コカイン密輸のノウハウを蓄積していた。
コロンビアでのコカイン1キロの製造コストが12万円
米国マイアミへの密輸コスト48万円
48+12=60万円がコカインの原価である。
そのコカインの売値は
マイアミで800万円
ニューヨークで1000万円
ヨーロッパでは1200万円
売値と原価の差額数百万円がメデジンカルテルの収益。
パブロ・エスコバルはこのコロンビアから米国へのコカインの輸出ルートを確立し、莫大な資産を得ることになったのだ。
全盛期には3兆円の資産を築き世界7番目の大富豪としてフォーブス氏に取り上げられるまでに。ちなみにあのビルゲイツが6兆円ほどだ。
コカイン事業の組織化を成し遂げたパブロ・エスコバルは敏腕経営者に近いものがある。
側近の証言によると、パブロ・エスコバルは怒らせると尋常でなく怖いが平時はノリが良く優しいところもあったそうだ。側近に「おいお前、このフライド・チキン食うか?」とチキンを差し出してきたり、そんな感じ。
部下への報酬の分配なども正確にキッチリとやっていたり、おそらく部下の女に手を出すこともなかったように思われる。そういった人心掌握に長けているカリスマ経営者的な顔があった。
そんなパブロ・エスコバルへの支持をさらに固くしたのが、冒頭でも述べた人間は「世界は公平である」と考えたがる公正世界仮説だ。
”金持ちは偉い”そう思ってしまうのが人間だ
「世界は公正・公平である」と考えたがる人間の思考の癖を社会学で公正世界仮説という。
簡単に言うと「悪いことしたら罰当たる、良いことしたら報われる」そう考えたがる人間の思考の癖のことだ。
この公正世界仮説は悪い方向で作用することも多い。
たとえば、「あの人は良いことをしたから金持ちになったのだろう」そんな風に考えたがるのだ。
そうパブロ・エスコバルの例だ。
「パブロ・エスコバルは良いことをしたから金持ちになったのだろう」
当初はそう考えて支持し続けたコロンビア人は多かった。
闇稼業で仕事をしてきたパブロ・エスコバルはその反動もあってだろう。人々から認められたい承認欲求、名誉欲が非常に強かった。お金以上に人に認められたい欲求が強かったようだ。
若いころから大統領を目指すような野心を持っていたとも言われている。
パブロ・エスコバルはコカイン事業で有り余る資産を有していたので慈善事業として貧しい人のために住居を建設した。
動機が何にせよ貧しいコロンビア政府が出来ないことを易々とやってのけるパブロ・エスコバルに人々は熱狂した。
未だにパブロ・エスコバルを誇りに思っているコロンビア人もいるくらいなのだ。もちろん多くはないが。
しかし、パブロ・エスコバルは脅迫や殺人も厭わない悪人である事実は揺るがない。
1984年には麻薬取引の犯罪者を米国に引き渡す法律を制定しようとしていたララ法務大臣を暗殺。
1989年にはガラン大統領候補はじめ大統領候補を3人暗殺した。
自動車や飛行機にまで爆弾を仕掛け、一般人を巻き込んだテロ事件を引き起こし始めてから民衆は徐々にパブロ・エスコバルの正体に気付き始める。
国家権力も手が出せない無双状態のパブロ・エスコバル
しかし、いくらやりたい放題してもパブロ・エスコバルは政治家や警察を買収したので1990年代初頭までは敵なしの無双状態だった。
コロンビア大統領ですらパブロ・エスコバルに逆らえないレベルだ。
下の写真は刑務所に入る前の写真だ。笑ってる。。。なぜなら賄賂ですぐ釈放されるからだ。
しかし、コロンビアから運ばれてくるコカインが国内に蔓延するのを恐れた米国政府が「パブロ・エスコバルを捕まえよ」と鶴の一声を発してから風向きが変わった。
何としてでもパブロ・エスコバルが暴れる回るのを抑えたいコロンビア政府、米国に送られるのだけは避けたいパブロ・エスコバル。両者の折衷案としてパブロ・エスコバルは刑務所「ラ・カテドラル」に収容されことになった。
これはまさに国家権力でも抑え切れないパワーをパブロ・エスコバルが握っていたことを示している。
笑ってしまうのがこの「ラ・カテドラル」はパブロ・エスコバルが建設したものだ。
刑務所なのにディスコ、プール、サッカー場なども完備されており、連日売春婦やモデルがこの「ラ・カテドラル」に来てはどんちゃん騒ぎのパーティーが催された。
パブロ・エスコバルは「ラ・カテドラル」からこれまで通りコカイン事業の指示を部下に出し続けた。
ただ、コロンビア政府もこの状況を指をくわえて見ているだけではなかった。
世論の後押しを受けてパブロ・エスコバルを別の刑務所に移すよう動き始める。
動きを察知したパブロ・エスコバルは隙をついて「ラ・カテドラル」を脱出して逃亡生活に入る。
しかし、この時までにパブロ・エスコバルは敵を作りすぎた。
パブロ・エスコバルへの復讐組織「Los Pepes」が立ち上がる
なんとパブロ・エスコバルの犯罪行為の犠牲者家族が組織した自警団「Los Pepes」がパブロ・エスコバルの手下や家族を殺し始めた。
もはやここまで来ると血で血を洗う様相である。
さらに、敵対麻薬組織のカリ・カルテルが米国でコカイン販売を仕切っていたパブロ・エスコバルの部下を買収する。さらにさらに米国麻薬取締局がコロンビアに乗り込んできてコロンビア警察に協力し始めた。
パブロ・エスコバルを捕まえようとしていた関係者らはみなお金でも権力でもなく、ただただ「復讐」のために動いていたと言う。殺された家族のために復讐する自警団、殺された部下のために復讐する警察官。
四面楚歌なパブロ・エスコバルは追い詰められ、1993年コロンビア警察によって射殺される。
大量の地元民がパブロ・エスコバルの葬式の際に献花に訪れた。権力を失ってもなおパブロ・エスコバルが支持されていたことがよくわかる。
パブロ・エスコバルの人生を一瞥して思うのがもしパブロ・エスコバルがその能力を実業界に活かしていればコロンビアのドナルド・トランプのようになっていたかもしれないということだ。
それだけのビジネスマンとしての才覚があったことは確かだ。生まれた時代と環境が異なっていれば実業家として活躍していたのかもしれない。もしかしたらだが。。。
Netflixのドラマ「ナルコス 大統領を目指した麻薬王」おいてはパブロ・エスコバルの人間性もよく描かれている。
今回の記事を書くに至って参考にした本「Pablo Escobar: My Father」、マーク・ボウデン「パブロを殺せ」もパブロ・エスコバルをもっと知りたい人にとっては面白く読めるだろう。
『ナルコス』の面白さついては別記事で紹介している。